ヘアサロン『こもれび』には、たくさんのお客様がいらっしゃいます。このサロンがほかの美容室と違うのは、お店が病院内にあるということ、そして、お客様の多くが何かしらの病気と闘っているということです。
店長の桜庭純子さんは、病気や治療によって、脱毛してしまったお客様の髪のカットや、ウィッグの調整をするスペシャリストです。
「ウィッグは着けて終わりではありません。ご自髪が伸びてきたタイミングで、カットしながら調整していくので、お客様にはその都度足を運んでいただきます」
桜庭さんはお客様の体調や顔色を見て、声のトーンや話題を変えます。するとお客様は、「診察の待ち時間が長くて嫌になっちゃう」「先生とのお話で、こんなことがあったの」と、医師や看護師にはいえないような愚痴や悩みを桜庭さんに話し出すのです。お喋りに夢中になっていると、施術時間もあっという間です。
「こんなに綺麗にしてくれてありがとう」
お客様からのこの言葉が、桜庭さんの原動力です。
ある日、『こもれび』にやってきた60代の女性は、もうすぐ定年を迎えるというタイミングでがんが見つかりました。
「定年後、友だちとの旅行を楽しみにしていた方でした。『抗がん剤で脱毛したら、旅行には行けない』と、ひどく落ち込んでいました」
病気の苦しみは、ご本人にしかわかりません。桜庭さんにできることは、お客様のために、心を込めてウィッグをつくることだけです。相手の気持ちに寄り添い、根気強くお話を聞き続けました。
「お話しするうちに、心が整理され、ウィッグをつくる決心がついたようでした。数か月後、『桜庭さんにウィッグをつくってもらったおかげで、旅行に行けた。ありがとう』といっていただいたときは、二人でいっしょに泣きました」
しかし、いつもうまくコミュニケーションが取れるわけではありません。サロンに来る方の病気や症状はさまざまです。医師から「もう治療方法はない」といわれて来る方もいます。ご家族に半ば無理やりつれてこられて、「もうすぐ死ぬのに、ウィッグなんて着けても意味がない」という方もいました。そんなときも、桜庭さんは自分にできることをあきらめません。お客様の気持ちが落ち着くまで、話を聞き、寄り添い続けます。
「仲良くしていただいたお客様が亡くなることもあります。ウィッグをお棺に入れるときは、本当に辛いです。でも、だからこそ、一人ひとりのお客様に会える幸せを毎日実感しています。自分を含めて、いつだれがどんな病気になるかわかりません。自分にできることはすべてやったと、自信を持っていえるように仕事をしたいんです」
『こもれび』で働くようになってから、桜庭さんは、日々の生活のなかで「ありがとう」をいう機会が増えました。
「普段、思っていても口に出さないときがあることに気づいたんです。だから、いまでは思ったらすぐに『ありがとう』というようにしています」
桜庭さんの手によって、今日もだれかが美しい笑顔になっています。
桜庭純子さん
アデランスが手がける、美容室こもれび
埼玉医科大学国際医療センター店店長。
病院内にサロンがあるのを見かけ、入店を希望。
優しい声かけで一人ひとりに丁寧に対応する桜庭さんのファンは多い
お客様から、感謝の手紙が届いた。
「こもれび」で励ましてもらったことが
抗がん剤治療への覚悟につながったとのこと。
「この手紙はいつも持っているんです」(桜庭さん)
取材・文/中村未来 撮影/富本真之