自然免疫制御技術研究組合研究本部長
新潟薬科大学客員教授
稲川 裕之
Inagawa Hiroyuki
埼玉大学工学部修士課程終了後、小西六写真工業の技術研究所に入社、同年度に水野バイオホロニクスプロジェクトに研究員として参加。水野伝一教授との出会いから比較免疫学的研究視点を含めた食細胞(マクロファージ)に基づく健康維持の仕組みとその応用として難治性疾患予防・治療への利用について研究を続けている。
また、食品の健康維持機能性を担う成分としてグラム陰性菌由来のLPSの発見とその経口摂取での有用性を1980年代後半に見出し、以来LPSの経粘膜摂取による有用性に着目した研究を展開している。現在、自然免疫応用技研副社長、自然免疫制御技術研究組合研究本部長、新潟薬科大学客員教授など。
第16回日本機能性食品医用学会総会 最優演題賞受賞(2018年12月16日)
第26回芦原科学功労賞 香川県内産業の技術向上や団体・振興に功績があった個人・団体(2019年2月21日)
■自然免疫応用技研株式会社
日本全国から研究者と技術者が集まり、LPSの研究を続けている。
大学との共同研究、産官学連携プロジェクトなど、研究成果は実際に社会で利用されており、私たちの健康に役立っている。
自然免疫応用技研株式会社
代表取締役社長
河内 千恵
Kohchi Chie
立命館大学理工学部化学科卒業後、広島大学大学院工学研究科・博士課程終了(工学博士)。
ファイザー製薬(株)、日本学術振興会・がん特別研究員、帝京大学・助手、広島大学・助手、香川大学・客員教授等を経て、2006年から自然免疫応用技研株式会社代表取締役社長。
発酵分野の酵母の遺伝育種の研究からスタートし、カンプトテシンの抗癌作用機序研究に携わったほか、1989年からは杣源一郎博士(現、自然免疫制御技術研究組合代表理事)とともに、マクロファージの機能解明の一環として膜結合型TNFの機能に関する研究、およびグラム陰性細菌LPSの生理的作用解明と実用化研究に取り組み、現在に至っている。
2010年3月:2009四国産業技術大賞 産業振興貢献賞 受賞
2012年3月:第4回ものづくり日本大賞 四国経済産業局長賞 受賞
2013年3月:平成24年度高松商工会議所・模範会員事業所 表彰
「ここに細菌がいるよ」という情報を伝えるLPS。植物にも動物にもセンサーがある
LPSとはどのような物質ですか。
稲川●LPSはリポポリサッカライド(Lipo polysaccharide)、リポは脂肪でサッカライドは糖のことです。糖と脂肪の複合体ですね。特徴的な構造があり、脂肪酸に5本から7本、種類によって違うのですが糖鎖がたくさんついています。LPSはグラム陰性菌の細胞外膜に存在している物質です。
LPSは細菌の生存に必要な物質と言われていますが、それは多細胞生物とのあいだの情報分子だからだと考えられます。無脊椎動物、脊椎動物、植物、すべてがLPSに対する受容体を持っています。「ここに細菌がいるよ」という情報として、どうもLPSが使われているようなのです。
LPSが私たちの身体の細胞に触れると免疫のバランスをとるための情報、皮膚の健康を保つための情報、または腸の健康を保つための情報などに使われます。
細菌の膜にあるLPSが、私たちの身体で情報物質として機能するのですね。
稲川●そうです。私たちは菌と共生しています。例えば、腸にはおよそ1000種類の細菌が生息していると言われています。
ここでグラム陰性菌についてお話しておきましょう。細菌を分類する基準のひとつにグラム染色という方法があり、細胞壁が厚いために染色が残るのがグラム陽性菌で、薄いために染色が残らないのがグラム陰性菌という大きく2つのグループに分かれます。
グラム陰性細菌の細胞膜にあるLPSは、自然免疫に作用を持つ物質として、健康食品分野でも使われています。
LPSは自然の中にあるということですが、どういう場所にあるのですか。
河内◆グラム陰性菌のパントエアですが、これはどこにでもいて、特に食用植物を調べると必ず見つかります。パントエア菌は食用植物と共生して、例えば栄養の吸収を助けるなど、植物のためにはたらきます。私たちも食用植物を食べることでパントエア菌を自然に摂取しています。収穫したリンゴや梨にパントエア菌を吹き付けるとほかの雑菌やカビを防げるということがわかり、ヨーロッパでは果実の保存に利用されています。
免疫力は20代をピークに低下していく。
マクロファージを元気にするのは糖脂質、LPS。
免疫の研究は複雑で難解と言われています。免疫は多様な細胞が関わり、
情報伝達物質サイトカインにも多くの種類があります。
しかし、免疫の研究は、感染の予防、疾患の理解と治療など
人類の健康に大きく役立つ重要なものなので研究の成果から目が離せません。
マクロファージ細胞の活性化による健康維持について、
長く研究を続けていらっしゃる河内千恵先生と稲川裕之先生にお話を伺いました。
近年、獲得免疫だけでなく自然免疫も「記憶」されることがわかってきました。
「自然免疫トレーニング」という言葉は、感染症の脅威に不安が高まる昨今、
キーワードのひとつとして認知度が上がっています
長い発酵の歴史を持つ日本。
パントエア菌は「秘伝のたれ」にも入っている?
ヨーロッパでは古くからライ麦パンの発酵に使っていたということですが、日本ではどうですか。
稲川●ヨーロッパではパスツールやコッホが1800年代の終わりに微生物についての研究を進めました。でも、日本の発酵食品は奈良時代よりも前からあったと言われています。微生物の存在がわかる前から発酵の技術は伝承されてきたということですね。
発酵の場所ではいまだに「秘伝のたれ」のようなものが継承されています。
おそらく、そういうものの中にパントエア菌は入っていたのでしょう。
植物や土に触れる機会が多い人には何が違いがあるのでしょうか。
稲川●どこに住んでいる人にも腸や皮膚にグラム陰性菌はいるのですが、細菌がたくさんいる土に囲まれた環境では、グラム陰性菌に触れ合う機会が多くなるでしょう。2008年、NHKスペシャル「病の起源 アレルギー・2億年目の免疫異常」という番組で、小児ぜんそくを疫学的に調査したドイツの研究結果が放送されました。
アトピーの子供とそうでない子供の家のホコリを集めて調べたところ、その中にグラム陰性菌の成分が多い農家の子ほど花粉症とぜんそくを発症していなかったのです。幼少期からのLPSへの曝露量が少ないとアレルギー体質になる可能性が高くなると考えられる結果でした。
これに関連する論文が出てから、「あんまりきれいに手を洗うな」ということまで言われるようになりました。
とは言っても、それは難しいことなのでLPSを上手に使って「いいとこどり」をしようじゃないかということなのです。
微量でもマクロファージを活性化して、生体の恒常性を高めるLPS
LPSは自然免疫に作用するということですが、どのようなしくみですか。
稲川●マクロファージには異物の分子を認識する受け皿である受容体が何種類もあり、細菌成分もウィルスも認識します。マクロファージには「トル様受容体(Toll-like Receptor)」という細菌やウイルスをキャッチする受容体があるのです。
これまでにヒトでは10種類のトル様受容体(TLR1~10)の存在が確認されています 。LPSはTLR4に結合して、マクロファージに情報を与えます。このTLR4は、他のTLRに比べて千分の一、一万分の一という、かなり微量の刺激でも、マクロファージにシグナルを伝達することが知られています。LPSは非常に微量でもマクロファージを活性化できることが特徴であると言えるでしょう。
LPSはマクロファージを活性化すると言って良いのでしょうか。
稲川●貪食細胞として発見されたマクロファージですが、その性質は目的に合わせて変化するということが最近の研究でわかってきています。生体がなるべく健康に生きていくのをサポートするのがマクロファージの役割で、そのために「生体の恒常性」(※1)を高めてくれると考えられるのですが、それはマクロファージが極めて多様性を持つからなのです。マクロファージは必要な場所で必要とされる性質に変わる、そういうことをまとめて「活性化」と考えていただきたいですね。
(※1)生体の恒常性
ホメオスタシス、身体を環境に適応させて健康に安定させるために、自然に備わっている機能。
マクロファージの多様性について、もう少しお伺いしたいです。
稲川●マクロファージは多様性と可塑性(※2)のある細胞です。ばい菌はいきなり全身に行き渡るわけではありません。ばい菌が入ってきた傷口にまず、戦闘態勢のマクロファージがやってくる、というように適切な場所で適切に働くことが大事なのです。マクロファージには場所によって必要な役割を果たすための可塑性をコントロールするポテンシャルを持っており、そして、そのポテンシャルを引き出すのがLPSです。
河内◆免疫と聞いて多くの方がイメージするのは感染防御なのですが、マクロファージにはスタンバイ状態、戦闘状態、ダメージの修復を助ける状態、など多様な姿があって、そのすべてが免疫なのです。
(※2)可塑性(かそせい)
外部刺激に対して、性質を変化させる性質。
アルツハイマー、アレルギーなど多くの病気の治療にも有用であることがわかってきた
病気の治療への応用についてお伺いします。
稲川●例えば、筋肉の再生、脳の機能維持、心臓の維持などがあります。マクロファージの多様性と可塑性から、ある意味、どのような病気にもマクロファージはターゲットになると言えます。マクロファージを元気にするLPSはどのような病気の治療にも可能性が考えられます。
特にアルツハイマー型認知症は、私たちの研究で重点的な課題の1つです。マクロファージは全身に存在していますが、脳の中には特殊なマクロファージ「マイクログリア」があり、このマイクログリアがアルツハイマーの発症をどうやら抑制することがわかってきました。
マイクログリアはアルツハイマー型認知症の原因のひとつアミロイドベータを排除するだけでなくダメージを受けた神経を修復・再生したり、炎症を抑制しています。つまり、病気の進行段階すべてにマイクログリアというマクロファージが関わっていることがわかってきたのです。
ほかにもアトピー性皮膚炎や花粉症の改善、また、抗がん剤治療における免疫系の低下に対しても有用であることがわかってきており、これらも研究が続けられています。
LPSは皮膚の健康にも関わっているのですか。
河内◆化粧品の原料として10年以上、LPSを供給しています。外界に触れている皮膚は、異物や危険なものを認識して排除にはたらくべきところで、免疫系として重要な組織なのです。
皮膚の細胞はマクロファージだけでなく、すべての細胞が少しずつLPSに応答します。刺激を受けると本来やるべき仕事をやるのが皮膚の免疫なのですが、加齢やストレスによって皮膚の細胞も恒常性を保つための仕事がおろそかになります。
そこにLPSを与えると、表皮細胞の新陳代謝が高まりメラニンなどを分解する力が上がります。
LPSは真皮にまで入っていけないのですが、表皮の細胞が刺激を受けるとそれが次々に伝達されて真皮にまで伝わることがわかっています。
LPSの作用「プライミング」、実は免疫トレーニングである可能性
今後のご研究の方向や目標について、お聞かせください。
稲川●ひとつは、私たちが30年の研究でLPSの作用として報告してきた「プライミング」(※4)ですが、これは最近話題になっている(※5)「自然免疫のトレーニング」とおそらく同じことではないかと考えています。
新型コロナなどの感染症を重症化させないためには、免疫力が健全であることが重要です。LPSの経口投与、経皮投与で免疫応答の機能を高めることを提案していきたいと考えています。
河内◆子どもの時に接種したBCGワクチンの効果がなぜ大人になるまで続くのか、それはワクチンが「免疫のトレーニング」になるからではないかと考えられています。
BCGによって、自然免疫が強化された状態が続くのです。
LPSはマクロファージをスタンバイ状態にして抗炎症にも炎症促進にも働く、そこが重要なポイントです。「免疫のトレーニング」という目的から言うと、BCGワクチンでなくてLPSでも効果があると考えられます。
(※4)プライミング(priming)
免疫系を賦活するための予備刺激(初回刺激)のこと。マクロファージがプライミング状態になると戦う相手が出てくれば「戦うマクロファージ」に、治癒させる現場があれば「鎮めるマクロファージ」に、素早く移行できるスタンバイ状態になる。
(※5)自然免疫のトレーニング(trained immunity:訓練免疫)
自然免疫細胞は病原体ときちんと戦えるように「訓練」できる、ということが近年明らかになってきた。獲得免疫のようにピンポイントの攻撃ではないため、予防接種のような強い効果はないが、基礎研究では、感染の重症化を防ぐ可能性が指摘されている。
2020 Autumn Vol. 5.1
2020年10月発行
発行/株式会社アデランス
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