ウィッグの歴史を研究している、アデランス元社員・学術研究員・益子達也さんに伺う、ウィッグ(かつら)の歴史。今回は能や歌舞伎のかつらについてお伺いします。
―前回のお話で、女性たちが積極的にウィッグ(かづら)を使用していたことを知りました。美しくありたいという女性たちにとって、ウィッグの存在は心強かったのだと思います。
益子氏:そうですね。昔の日本では、ウィッグを使うことは当たり前だったようです。奈良時代に発令された法律「大宝律令(たいほうりつりょう)」では、女子は朝廷に出仕するときには朝服に義髻(ぎけい)というつけ髪を使用するよう定めています。また、『枕草子』の中にも赤く染めた鬘(かつら/この場合つけ髪)を使ったとエピソードが収められています。『源氏物語』でも髲(かつら)・かづら、あるいは加美乃須恵(垂髪の下の方につけたつけ髪)などの名前が出てきます。髲の名は鎌倉時代にも残っています。
室町時代になると、宮廷に出仕していた女房たちの間に「女房ことば」というものが流行します。名前をそのままいわず、「お」や「もじ」などの言葉を足して、遠回しに表すことが上品なこととされたんですね。例えば、「でんがく」を「おでん」、お目にかかることを「おめもじ」などというのは現代にも残っていますね。髪の毛も同様に「か文字」と呼ばれるようになり、それが桃山時代には頭上に束ねる髪型と変化し、か文字や髪文字は入れ毛のことを指すようになりました。
この「かもじ」は江戸時代には加文字、加毛之、䯸(し)、鬙(そう)などと表現されて、いつしか今日の髢(かもじ)となりました。江戸時代には、女性の髪型・髷(まげ)もさまざまなものが出るようになります。髪を結んだ各部分には、長かもじ、びんはり、びんみの、まえがみ、いれづと、などのかもじが使われるようになりました。さらに明治に入ると髪型は200種類以上にもなり、かもじも多く使われるようになりました。
―確かに、江戸時代の女性の髪型を見ていると、とても自髪だけで作るのはむずかしそうです。一般の女性たちにとって、かもじ(ウィッグ)は一般的だったんですね。
益子氏:さらに日本では、芸能の方面でもかつらが一般的に使われています。芸能のかつらとしては、第4回の神代の時代に登場した天宇受売命(あめのうずめのみこと)が使ったものが始まりです。この神は、別名を猿女君(さるめのきみ)といいます。そして、この名を受け継いだ猿女君は、宮廷での祭祀(さいし)における神楽舞の神祇官(じんぎかん)・巫女(みこ)として、神前での演舞や大嘗祭(だいじょうさい)の先導役という任務を担うようになりました。
私の想像ですが、この猿女一族は、神宮がある伊勢から朝廷の祭祀に関わるべく奈良の大和郡山に移ったものの、9世紀初頭にはほかの男系祭祀一族にしいたげられ、住居不定の雅楽や軽業芸、散楽などの祖となったのではないでしょうか。彼らは、つる草のかつらの伝統をはちまきとして残し、それが能の鬘帯(かづらおび)となったのではないかと考えられるのです。
また、能には鬘帯だけでなく扮装(ふんそう)用のかつらもあります。こちらは観阿弥・世阿弥が完成させた「大和猿楽能」で使用されたものが最初で、鬘帯とは異なるルートで生まれたものと考えられます。能の面が鎌倉中期に完成されたといわれているので、おそらくこの能のかつらが生まれたのも同時期でしょう。ただ、能のかつらはルーツが不明です。
この能のかつらは、女鬘(おんなかつら)や喝食(かっしき)、尉髪(じょうがみ)、姥髪(うばがみ)、黒頭(くろがしら)、赤頭(あかがしら)、白頭(しろがしら)、垂(たれ)などの種類があります。かつらをつけ、鬘帯で締め、それから面をつける。鬘帯(布製)は、境目をごまかす役割を果たしています。
現在の能では、かつらを装束の中にしまい込んでしまうために見ることができませんが、昔は外に出していました。山形県の黒川能は、今でも昔の伝統を引き継いでいます。
―芸能といえば、もうひとつ、歌舞伎でもかつらを使っていますね?
益子氏:歌舞伎の始まりは出雲の阿国のヤヤ子踊りだといわれていますね。能の鬘帯、狂言の鬘巻(かつらまき)を真似して鬘帯をつけて、中世の女性を表現したと思われます。この歌舞伎は、最初は女歌舞妓でしたが、後にそれが禁止されると少年が演じる「若衆歌舞伎」となり、これも禁止されます。そしてついに1652年、今の歌舞伎に通じる「野郎歌舞伎」が登場します。このとき、青頭を隠すのと粉飾のために置き手ぬぐい・黄絹(ほっけん)や黒帽子が考案されました。
いわゆる「かつら」が使われるのは1654年、羽左衛門が市村座で「島原傾城買(けいせいがい)」を演じたとき、女鬘を使ったのが始まりとされています。このときは能のかつらにヒントを得て、前髪かつら(付髪)を使用したようです。さらに、1655年には鬢鬘(びんかづら)、差込髷などが登場します。これらのかつらが生まれたことによって、女形は進歩したんですね。
これまでのかつらは部分かつらでしたが、1673年には銅板台の頭型が発明され、全かつらが完成しますがあまり普及はしませんでした。17世紀後半になると、帽子をもっと工夫した沢之丞帽子、やでん帽子(水木帽子、あやめ帽子)、野郎帽子などが登場します。全かつらが歌舞伎の世界で一般的になるのは、それから100年後の18世紀後半のことでした。
それからわずか数十年後の1803年、生え際を自然に見せる羽二重に毛を植えたものができあがります。明治初期にはさらに精巧なかつらが誕生し、現在の歌舞伎かつらが生まれました。
現代の歌舞伎のかつらは、かつら師が銅板を俳優の頭に合わせ、台金を作って羽二重に毛を植えたものを作り上げます。さらに床山と呼ばれる職業の人が、生締(なまじめ)、大百(だいびゃく)、立兵庫(たてひょうご)、片はずしなどに結い上げて完成させます。刳り型(くりかた)、前髪、甲羅、鬢(びん)、髷、髱(つと/たぼ)などを組み合わせることで、役に合わせた千数百種類に及ぶかつらがあるそうで、その豊富な種類が今の歌舞伎の舞台を支えているといえるでしょう。この歌舞伎かつらは、現在さらに婚礼用、芸妓(げいこ)用などのかつらに応用されています。
日本のかつらのお話はだいたいこれでおわりです。次回は洋かつらと男性のかつらについてお話ししますね。
・第6回 能や歌舞伎のかつら・ウィッグ日本史
参考文献:
現代髪学事典(NOW企画1991/高橋雅夫)、髪(NOW企画1979/高橋雅夫)、古事記・日本書紀(河出書房新社1988/福永武彦)、万葉集[上・下](河出書房新社1988/ 折口信夫)、神社(東京美術1986/川口謙二)、祖神・守護神(東京美術1979/川口謙二)、神々の系図(東京美術1980/川口謙二)、続神々の系図(東京美術1991/川口謙二)、日本靈異記(岩波書店1944/松浦貞俊)、ことわざ大辞典(小学館1982/北村孝一)、天宇受売命掛け軸 (椿大神社)、能(読売新聞社1987/増田正造)、能の事典(三省堂1984/戶井田道三,與謝野晶子)、能面入門(平凡社1984/金春信高)、カラー能の魅力(淡交社1974/中村保雄)、能のデザイン(平凡社1976/増田正造)、歌舞伎のかつら(演劇出版社1998/松田青風、野口達二)、歌舞伎のわかる本(金園社1987/弓削悟)、江戸結髪史(青蛙房1998/金沢康隆)、日本の髪型(紫紅社1981/南ちゑ)、歴代の髪型(京都書院1989/石原哲男)、裝束圖解[上・下](六合館1900-29/關根正直)、日本演劇史(桜楓社1975/浦山政雄、前田慎一、石川潤二郎)、女優の系図(朝日新聞社1964/尾崎宏次)、西洋髪型図鑑(女性モード社1976/Richard Corson、藤田順子 翻訳)、FASHION IN HAIR(PETER OWEN1965-80/Richard Corson)、江馬務著作集第四巻装身と化粧(中央公論社1988/江馬務)、原色日本服飾史(光琳出版社1983/井筒雅風)、 Chodowiecki(Städel Frankfurt1978)、西洋服飾史(文化出版局1973/フランソワ・ブーシエ、石山彰 監修)、おしゃれの文化史[I・Ⅱ](平凡社1976-78/春山行夫)、西洋職人づくし(岩崎美術社1970-77/ヨースト・アマン)、大エジプト展(大エジプト展組織委員会/日本テレビ放送網)、古代エジプト壁画(日本経済新聞社1977/仁田三夫)、フランス百科全書絵引(平凡社1985/ジャック・プルースト)、洋髪の歴史(雄山閣1971/青木英夫)、天辺のモード(INAX1993/INAX)、他参照書籍多数、他ウェブサイト参照、他かつら会社、神社等取材先多数
協力者:
高橋雅夫氏
記事初回公開日 :2015年11月9日