ウィッグの歴史を研究している、アデランス元社員・学術研究員・益子達也さんに伺う、世界のウィッグの歴史。今回は18世紀から現代までの世界のウィッグです。
―中世に流行の兆しをみせたウィッグは、いつ頃が一番盛んだったのですか?
益子氏:18世紀の頃でしょうね。ウィッグは社交には欠かせず、「ウィッグをつけないなんて不作法だ」とまで考えられていました。多種多様のものがあったので、男性は好みのウィッグを使用したようです。
イギリスでは、アン女王の時代にフルボトムが流行しました。これには10人分もの毛髪が必要であったといわれています。けれども、フルボトムはこれをピークに後退し、18世紀中頃には廷臣、法官などがつけるだけになりました。
フランスでは、即位したルイ15世が最初は自髪であった(のちにウィッグを使用)ため、フルボトムウィッグは段々と廃れて、違う形のウィッグに変化したことで価格も安価になり、上流から中、下層階級にまで購入できるようになりました。
こうして、ウィッグが一般的になるにつれ、17世紀には9種類のみだったウィッグの種類も、18世紀後半になるとウィッグは200種を越えたといわれています。大きく分けると、
- フルボトム
- お下げウィッグ
- 断髪ウィッグ
の3つのパターンとなり、安価なひっかきウィッグなどは下層階級の人でも手軽に使えるようになりました。
一方女性は、18世紀中頃までは、髪の毛を上へ、上へと盛り上げるフォンタンジュが流行します。その後ルイ15世の愛人ポンパドゥールのウィッグなしのスタイルが一時的に流行するものの、再び18世紀後半から末まではさらに華美なフォンタンジュが台頭し、入れ毛や巻毛がたくさん使われました。
ちなみに、この時代の材質は、ほとんどが馬毛で、白から灰、黒、茶、金、更にピンク、赤、青、紫などの色粉で染められていました。
けれども、この流行も、徐々に終わりを迎えます。1760年にはジョージ3世が、自髪をウィッグに似せて色粉を振ります。ジョージ3世は後にウィッグをつけたときにも、色粉のない自然に近い茶のウィッグを用いました。これに危機感を持ったウィッグ師の団体は、1765年にウィッグをかぶる法令を作ってもらうべく、王にかけ合ったものの、受け入れられなかったそうです。
その後は、「バリスターズウィッグ」として上下院議長、裁判官、弁護士などが着ける程度となり、その風習は今日まで続いています。
そして、1789年、フランス革命をきっかけに、華美なウィッグの風習は廃れていったのです。
―では、フランス革命後は、ウィッグは使われなくなってしまったのですか?
益子氏:いえいえ、華美なものでなければ、ウィッグは使われていましたよ。けれども、どちらかというとこぢんまりとしたスタイルになったようです。フランス革命期直後の19世紀初頭の女性は、短い髪型のティテュス風にウィッグ、及び小さいつけ髪であるカシュ・フォリなどを使っていました。
イギリスでも、18世紀末には「ひさし髪」が、19世紀初期からはシニヨンに入れ毛やつけ髪の仮髪が流行します。しかし、男性は一部を除いてほとんどがウィッグを使用しなくなりました。
アメリカでは1867年、毛髪で作ったネットをベースにしたヘアレースが出現します。このレースに髪を植えた薄毛用のウィッグは、現在に劣らない製品であったといわれており、いわゆる男性ウィッグの元祖とも思えるものです。この薄毛用のウィッグは、イギリス、フランスにも逆輸入されるようになりました。
そして1882年、同じくアメリカで、画期的な出来事がおこります。それは、とある人物がヘアレースのウィッグを切ってしまったことに端を発します。修理に苦労したウィッグ師は、自然に生えてくるように見せるため、少しずつ髪の長さを変えて植え替えたのです。これが、現在の「段階増毛法」の始まりといえるのです。
その後、1890年には、極めて精巧なウィッグが出現したものの、高価なことと、男性ウィッグ自体がまだ蔑視されていたので、流行するにはいたりませんでした。しかし、こうした流れを受けて、1895年には、ウィッグをメガネや入れ歯のように使う旨の見通し論が提唱されるようになりました。
―男性のウィッグには、偏見があったのですね。女性のウィッグはどうなっていったのですか?
益子氏:20世紀になると、男性はウィッグをあまりつけなくなります。それは、第一次、第二次大戦のために、世界的に断髪の時代となったからです。
一方、イギリス女性の間には長い髪をウェーブするのが流行し、自毛に自然につけられたウェーブのつけ毛がもてはやされました。ピンで髪束もつけたりして、イギリス政府でウィッグの使用の奨励をしたこともあるようです。同じころのフランスでは、人毛ネットウィッグが開発されていました。
アメリカでは戦後間もない1950年代、合成繊維の人工毛が開発され、ファッションウィッグができ上がります。これは染色が可能なもので、イギリスにも広まりました。
1963年になるとウィッグは日常のものとなり、女性ウィッグ人口は650万人にものぼったといわれています。ウィッグはハンドメイドばかりでなく、マシンメイドも出回りました。このマシンメイドは、伸縮自在のバンドがついていたので、ヘアハットとも呼ばれたようです。ハンドメイドは職人が一週間をかけてつくるもので、人毛を使い、上等なネットに手植えされ、分髪部はレースチュールか絹糸のネットに、結び目をネットの裏に作るような手間のかかるものでした。
男性は20世紀初めから、髪を生え際からバックに梳き上げるスタイルが流行したため、ウィッグの生え際が隠しきれずあまり売れなかったようです。五分わけにしてもウィッグのベースが見え、自然さに欠けていました。けれども、1960年代の女性ファッションウィッグの改良にともない、生え際、分髪にレースヘアを使ったものが作られるようになり、ようやく売れるようになりました。
アメリカでは、1964年にビートルズが渡米した際に、10代を中心にふわふわしたビートルズウィッグ流行しました。さらに、1967年には、生え際を隠す前髪の下がったウィッグが、ヒッピー族を中心とした男女に人気となります。
1970年になると、アメリカではウィッグが男性美容室、デパートで販売されるようになり、人々は堂々と購入していたようです。一方のイギリスの男性ウィッグは、セールスによって普及しました。ここでも日本と同じで、薄毛人口は20%(80年代当時)。デパートにも、男性ウィッグのコーナーがあるようです。
駆け足でご紹介してきたウィッグの歴史【世界編】、いかがでしたか? 次は日本の歴史についてもご紹介しますね。お楽しみに。
・第3回 18世紀~現代のかつら・ウィッグ世界史
参考文献:
現代髪学事典(NOW企画1991/高橋雅夫)、髪(NOW企画1979/高橋雅夫)、古事記・日本書紀(河出書房新社1988/福永武彦)、万葉集[上・下](河出書房新社1988/ 折口信夫)、神社(東京美術1986/川口謙二)、祖神・守護神(東京美術1979/川口謙二)、神々の系図(東京美術1980/川口謙二)、続神々の系図(東京美術1991/川口謙二)、日本靈異記(岩波書店1944/松浦貞俊)、ことわざ大辞典(小学館1982/北村孝一)、天宇受売命掛け軸 (椿大神社)、能(読売新聞社1987/増田正造)、能の事典(三省堂1984/戶井田道三,與謝野晶子)、能面入門(平凡社1984/金春信高)、カラー能の魅力(淡交社1974/中村保雄)、能のデザイン(平凡社1976/増田正造)、歌舞伎のかつら(演劇出版社1998/松田青風、野口達二)、歌舞伎のわかる本(金園社1987/弓削悟)、江戸結髪史(青蛙房1998/金沢康隆)、日本の髪型(紫紅社1981/南ちゑ)、歴代の髪型(京都書院1989/石原哲男)、裝束圖解[上・下](六合館1900-29/關根正直)、日本演劇史(桜楓社1975/浦山政雄、前田慎一、石川潤二郎)、女優の系図(朝日新聞社1964/尾崎宏次)、西洋髪型図鑑(女性モード社1976/Richard Corson、藤田順子 翻訳)、FASHION IN HAIR(PETER OWEN1965-80/Richard Corson)、江馬務著作集第四巻装身と化粧(中央公論社1988/江馬務)、原色日本服飾史(光琳出版社1983/井筒雅風)、 Chodowiecki(Städel Frankfurt1978)、西洋服飾史(文化出版局1973/フランソワ・ブーシエ、石山彰 監修)、おしゃれの文化史[I・Ⅱ](平凡社1976-78/春山行夫)、西洋職人づくし(岩崎美術社1970-77/ヨースト・アマン)、大エジプト展(大エジプト展組織委員会/日本テレビ放送網)、古代エジプト壁画(日本経済新聞社1977/仁田三夫)、フランス百科全書絵引(平凡社1985/ジャック・プルースト)、洋髪の歴史(雄山閣1971/青木英夫)、天辺のモード(INAX1993/INAX)、他参照書籍多数、他ウェブサイト参照、他かつら会社、神社等取材先多数
協力者:
高橋雅夫氏
初回記事公開日 :2015年8月14日